02.由利大輔さん死亡事故の経緯

2008年10月24日(金) 19日〜24日

由利さんが意識を失ってからの数日間…

菅原は周囲の女性に「死にたい…」とメールを送っていた
そして、mixiの日記では「さっさと自分を殺してくれ」と書き、まるで自分が悲劇のヒロインのように振る舞っていた

RofCのサイトでの日記に不思議なくだりがある
「大阪の仲間に感謝…」
後にリング復帰をしようとしたリキオフィスに向けられたものか、それとも拳論にかかってきた「スブド大阪」を指しているのか
それとも…

この頃、湾岸署では菅原ひとりだけを聴取している
この時に菅原は警察で何を言ったのか…

同時期に警察からご遺族への説明は信じがたいものであった


裁判もあるので書く事は出来ないが、由利さんの未熟が故の自己責任といった内容であった

受け身をまともにとれない人間にダブルインパクトを仕掛けることが由利さんの自己責任になるのか?
この警察の説明からも菅原が何を言ったのかはある程度計り知れる


いずれ明らかにします
周囲には「医療ミスだから俺の責任ではない」
笠原には「自己破産しようかな」
「マンションの名義を女の名義にかえる」
「なんとか金を隠しておきたい」
信じられない言葉が次々に飛び出していた


そして他団体には医療ミスを強調しながらオファーの交渉を続けていたのだ


佐野はこの頃菅原に対して
「この事故はRofCで起こした問題だから記者会見なり開いて発表した方が良い」と言っていたようだ

しかしよく考えてほしい
18日の練習は菅原が号令をかけて開催したわけではない
この時点でグレプロと菅原の契約は切れていた
各団体の合同練習と呼ぶよりも、佐野個人が各自に連絡を取り参加させた練習だ
佐野は笠原を誘っている
会費もすべて佐野に支払うシステムだ

過去にも同様の練習が佐野からの招集により行われていたのだ

佐野はそういう立場でありながら由利さんが存命中にも一度も病室に行っていない
菅原への記者会見発言からもわかるように、「他人事」を決めこんでいたとしか思えない言動と行動だ…



由利さんはこの二人を見てどう思っていただろう…

「自分は被害者で良かった…加害者だったら責任とれないから…」

菅原・笠原・佐野が自分の事故で大変な思いをして行かなければならない事を知っていた

それは皆が自分の事故に正面から向き合ってくれると信じていたからだろう…


由利さんは意識を失う直前
「恐いよ…恐いよ…」と言っていたそうだ

そして余命一時間を宣告された後、5日間懸命に生きようと戦った

両親や兄弟…そして仲間を信じて…


24日

由利大輔さんは旅だった…

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2008年10月19日(日) 逃げの姿勢

大輔さんは「余命一時間」と宣告されても生きようと懸命に戦っていた

19日
菅原と笠原は改めて病院に出向いた
笠原は正装で奥さんとご両親を連れて謝罪した
菅原はいつものトレーナーとジャージ…


この時にようやく
菅原は自分が責任者で稽古も自分が教えていたと白状した

大輔さんの下の弟さんが切れた
「なんでこんな事になんだよ!おめえら兄貴に何したんだよ!」

皆、ひたすら土下座をして謝罪した

興奮した弟をみかねて次男の友輔さんが制止した
そして菅原と笠原に向かって言った
「ちゃんと補償はしていただきますから!」
友輔さんは必死で涙を流し謝罪する笠原たちの家族と
菅原のなんとなく謝っている態度の違いを、この時に感じたそうだ

容体は変わらず時間は過ぎて行った

その間になんと菅原は笠原に対して、時折
「自己破産」「マンションの名義変更」などを話していた


さらに菅原はmixiの日記にも「殺しにきてくれ」などと書き込む始末だった

そのうちに由利さんが危篤になった事を「医療ミスだ!」と言い出した

笠原は「事故の原因は自分たちで作ったのだからそんな事を言っちゃダメだ」と菅原を諭していたが…
夢名塾の渡辺宏志選手の電話に対しても
「医療ミスの可能性があるから…」と言っていた

この頃笠原の所にも二瓶氏からは電話があったようで
「あまり落ち込むな」と言われたそうだ

改めて湾岸署で取り調べを受けた
警察は「ホームページ見たよ。君が代表だよね」と菅原に言った
警察に言われて菅原は代表だという事を認めざるを得なかったのだ…

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2008年10月18日(土) ダブルインパクト

深夜午前1時すぎ。
新木場1stリングにはキャリア10年の最ベテランレスラー佐野直の呼びかけによって
グレートプロレス・ガッツワールド・RofC我道會館らによる合同練習が実施されていた。

参加レスラーは
佐野直
菅原伊織
笠原寧
ガッツ石島
ダイスケ
ジパング・ザ・グレート
サトモ
アップルみゆき
そして今回事故にあった由利大輔さんの合計9名であった。


リングではパワーボムを打ち合うガッツとダイスケ。
コーナーから回転しながら落ちる練習をする笠原など、思い思いに各自練習が行われていた。

由利さんはスワンダイブから着地してのチンクラッシャーを練習していた。

突然菅原がコーナーポストに上がった笠原に「笠原さん」と声をかけた。
振り向いた笠原が目にしたのは、菅原が由利さんを肩車していた姿だった。
そして以下のやりとりが交わされた

菅原「ダブルインパクトをやろう」
由利「え〜?え〜?オレやったことないっすよ」
笠原「落ちかたわかる?腹這いになるように回転して落ちるんだけど」
由利「それはわかります。でもやったことないから…」
菅原「お前は本番に強いから!技はやってみなきゃわかんないんだよ。いくぞ!」


そして笠原はコーナーポストから由利さんにダブルインパクトを放った

由利さんは頭からマットに突き刺さる形で落下…


由利「痛い!痛い!身体が動かないっすよ」

尋常ではない由利さんの状態を見て周りのレスラーが集まってくる

由利「…時間が戻ればいいのに…」

この由利さんの言葉を聞いて笠原は事態の重さを知る
笠原が由利さんの側についていた間に、佐野が救急車を手配し、他のレスラーはロープを外した。

救急車が到着し由利さんと笠原が救急車に乗り込んだ。
乗り込む際に笠原は菅原に言った。
「病院がわかったら連絡するから由利の荷物を持ってきて!」

行き先は墨東病院。
笠原は由利さんの家族に連絡し、菅原は由利さんの荷物を持ち、由利さんの車で病院に向かった。

その後の1stリングの会場でどのような話し合いが残されたレスラーであったのかは不明。

しかし会場にひとつ、由利さんの荷物を菅原が忘れて行った。
その荷物を佐野が病院に届けることになった。

《追記1》

ダブルインパクトを行う際に、
あるレスラーは「皆でとめた」と警察に言っている。
また別のレスラーは
「3人でとめた」と片岡氏に連絡している。

実際に笠原氏の耳には止めた声は届いていない。
声が届いていなければ止めた事にはならないと私は思う。

また「全員で止めたことにしよう」と口裏合わせのメールが出回っている事を確認している。
それが誰だかは…
今は伏せておきます。

《追記2》

新しくわかった情報では、由利さんが落下直後は手や足は麻痺状態であったことがわかりました

笠原が手足を触り「わかる?」との問いかけに由利さんは「何も感じない」と答えた

リングシューズは笠原とアップルみゆきで脱がせた
アップルはまるで自分は関わりのないように言っているようですが、しっかりその場は対処していた
それなのに何故知らぬ存ぜぬを押し通すのか理解に苦しみます

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2008年10月18日(土) 病院と警察での対応

由利大輔さんは墨東病院に搬送されすぐに処置を受けた。

後から由利さんのご両親が駆けつけられた
そして菅原・笠原の二人に聞いた。

母親「何故こんなことになったの?」
二人「…すいません」母親「責任者は誰なの?」
菅原「僕らはユニットだから責任者なんていないんですよ」


これを聞いた笠原は菅原が責任から逃れようとしているのでは…と最初の疑惑を持った


この時はまだ由利さんの意識もありお母様も落ち着いておられて
笠原に対して「仕事もあるだろうから帰っていいわよ」と言ってくれたそうだ

その間佐野が忘れ物を届けに墨東病院に出向いたが、
ご両親に会うこと挨拶もなく菅原と笠原に忘れ物を届けて帰ってしまった

通常であれば佐野は怪我をした際に救急車まで手配したのだから
事故当時の状況をご両親に説明するのが当然だと思われるのだが…



菅原と笠原は朝方病院を出て、湾岸署に出向き事故の届けを提出した

刑事「代表は誰なの?」
菅原「代表って特にいないんですよ」

由利さんの母親への説明と同じように菅原は

《代表なんていない》

そう明言している

笠原は思った
『菅原が責任をラリアットを撃った自分にとらせようとしているのではないか…』


菅原に対しての疑惑が更に増していった



《追記1》

佐野は現場に忘れていたシューズを墨東病院に届けたが
病院内に入る事はなく、菅原・笠原を呼び出して渡した

つまり事故後に由利さんが生きている間にも一度も由利さんの見舞いにすら顔を出していなかった

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2008年10月18日(土) 由利さん危篤

菅原・笠原が病院を出たのは18日の朝方
笠原はそのまま会社に向かい上司に事故の報告をした

午後3時
八王子で菅原と笠原、そして会社の上司と待ち合わせ警察署に向かう
湾岸警察で事情を報告したが、

その際に菅原は「団体に責任者はいない」発言をした

病院には別の笠原の会社の人間が行っていた。
警察署を出た時に病院にいる会社の人間から、由利さんが意識不明で危篤状態だと笠原に連絡が入った

すぐに病院に向かった

由利さんの母親は「どうしてこんな事になったの!」と二人を責めた
二人は暫く廊下にいたが、笠原の上司とともに近くの公園で話をした
携帯のバッテリーがなくなって来たため、菅原と笠原は近くのコンビニへ行った
その時に菅原が笠原に…

「マンションの名義とか移しておいた方がいいかな?」

由利さんが危篤になった事を知った菅原はすでに賠償金から逃げる算段の話をしていたのだ
その夜、由利さんは医師から《余命一時間》と宣告を受けた

由利さんは意識が無くなる寸前まで
「死にたくない…死にたくない…」と言っていたそうだ


頚椎骨折により脳幹損傷
そのために脳に血栓が出来てしまい手術は出来ない状態だった

しかし余命一時間と言われた由利さんが、この後24日まで生きていられたのは

ご両親を助けたいという思い…

会社の同僚でもある笠原に迷惑をかけたくないという思い…

だから死にたくないという強い思いで戦われたのだと私は感じています

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由利大輔さん死亡事故の経緯

2008年10月18日深夜1時すぎ
新木場1stリングで問題のダブルインパクトの事故が起きた

事故発生前後からの状況を私が知りうる限りの内容で明らかにしていきます

訂正箇所が出た場合は順次加筆してまいります

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